Infinity

日々の雑感をそのつど綴っていこうと思います。

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禅の悟り

 “禅”の悟りとはどんなものだろう。通俗書を見れば「呵呵大笑し,何物にも動じない不動心が手に入る」というようなことが書かれてある。執着を解き放つのが宗教の本来だが,不動心を手に入れたいという執着に凝り固まるのは本末転倒だが。。。

『一輪挿しから紅の山茶花の花がこぼれていた。捨てようとして数片を掌にのせた。見れば見るほど,その色は鮮やかに,しかも厚みを増して宝石のごとく光り輝いて見える。(中略)庭を見ると樹々が燦然と光って見える。目をあげると,屋根も空もすべてが異様に光り輝いて見える。更にそれらの奥に,すばらしい何物かが見える。』

『家内や娘も私の目下としての家内や娘ではなくて,強い光を放つ尊い存在として見えるではないか。それは神とも仏ともいうべき尊い存在であった。あなたはよう私の妻になって下さった。娘たちよ,よく私の所へ生まれてきて下った。山川草木すべてが絶対者の一部として感ぜられると共に,その奥に絶対者それ自体が観取されるではないか。実に不思議な体験だ。第三の眼が開いたのだ。直心の開眼だ。』

少し長い引用になったが,これは中西政次(著)「弓と禅」という本に載っている十一月二十四日の日記の一部。
姫路市中学校長を勤める傍ら縁があって五十三歳より弓道に入られ,苦修練行を重ね十年を経ずして弓道の道奥に達せられた体験記録であると故・山田無文老師が本の序に記されている。

ところで,最近少し古い本になるがバーバラ・ハリスの「臨死体験」というのを読んだ。読んだあと思ったことは臨死体験者は“直心の開眼”と同じようなことを経験されているんだなぁということだった。

 禅には「大死一番,絶後に蘇る」という言葉があるが,臨死体験はある意味その言葉に通じているものなのか。。。

IMG_130111山茶花
我が家の山茶花。ジッと花びらを見ていたがとくに何の変化も起こらず,あぁ無念!?

(P.S)
“難しいことが書いてあるけど、なにが言いたいのかよう分からへんなぁ”とBlogを見た家人のご託宣。ああ無情...!?
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[ 2013/01/27 11:26 ] 日常雑感 | TB(0) | CM(0)

現代の時間

 今年は正月早々からBlogの駄文を書きまくっているが、この勢いもその内沈静化していくと思われる。。。
 
 それはさておき、今日の京都新聞朝刊の「日本人の忘れもの」という企画特集欄に、京響の指揮者・広上淳一氏が『寄り添う「個性」』という文章を寄稿されていた。 氏は 

『現代の時間は「時」は速く、「間」が失われています。それ故、近年では「待つ」ということを忘れ、「待つ」時間の中に生まれる「想像する心」も失われてしまっています。』

と指摘される。その結果どうなるのか ...

『想像は現在を読み、対人との存在や距離感を感じる大切な瞬間にほかならないのですが、急ぎ足の現代は他の個性とのかかわりを捨て、自我を主張することに終始する殺伐社会を生み出します。この世界は他の個性と同じ時間を共有することから生まれる「発見」や「共感」すら放棄している世界です。』

・・・なる程と納得すると同時にいろいろ反省もさせられる。

 ヒトは畢竟自分の内から発する「~たい」や「~しい」の強い引力に引きつけられ、後先考えず急ぎ足になってしまっている。道端に転がっている石ころは無造作に足で蹴飛ばし、他とぶつかればそれを跳ね飛ばして先を急ぐ。。。果たしてそのような日常を送っていないか、ときたま振り返ってチェックすることが必要だ、、、

      ぱさぱさに乾いてゆく心を
      ひとのせいにはするな
      みずから水やりを怠っておいて       (「自分の感受性くらい」茨木のり子)

ちょっと立ち止まり、暫しぼ~っとする“間”を持つようにしていけば、乾いてゆく心も潤ってくるのではないだろうか。

IMG_凡夫のつぶやき
(東本願寺「日めくり法語」より)
[ 2013/01/13 13:16 ] 日常雑感 | TB(0) | CM(0)

雪やコンコン

用事があって外を歩いていると、向こうから灯油売りのトラックが冬に相応しい童謡『雪』を大きな音で流しながらこちらに向かってきた。

   雪やこんこん 霰(あられ)やこんこん
   降つては降つては ずんずん積(つも)る
   山も野原も 綿帽子(わたぼうし)かぶり
   枯木(かれき)残らず 花が咲く

聞くともなしに聞いていたが、ハッ!?と 『雪がこんこん降る』とはどういう情景かなぁ~と思った。

 『雪はしんしんと降る』という言い方がよくされるが、コンコンと降る(コの発音が強調される)となれば、綿のような雪が空中で炸裂し舞い散っているようなイメージが浮かぶ。

 子供たちが空から降ってくる雪を楽しみ、舞い散る雪と一緒に元気よく飛び跳ねて遊んでいるという情景を活写した歌が童謡『雪』なのか。。。と一人合点しながら先を急いだ。

 帰宅後、件の童謡をネットで調べると『雪やこんこん』ではなく『雪やこんこ』が正統で、“こんこ”とは「来む来む」、“降れ降れ”いう意味らしい。したがって、『雪やこんこ』は雪よもっと降れ降れということになる。

 まぁもっともらしい内容だが、少し面白みが欠ける。やはり雪の炸裂する音が“コ~ン・コ~ン”だと解釈したほうが楽しい気分になるなぁ~。


IMG_岡本太郎
(岡本太郎のアトリエにて)
[ 2013/01/06 18:49 ] 日常雑感 | TB(0) | CM(0)

師匠という呼称

 バラエティー番組をみると、若手のお笑いタレントや芸人が、大物と呼ばれる漫才師や落語家に向かって"きよしさん”でなく“きよし師匠”とか、“つるべさん”でなく“つるべ師匠”と、やらたに“師匠”という敬称をつけて呼んでいる。いつからそんな言い回しが流行りだしたのだろう。。。

 タレントや芸人の仲間内で大物と目される芸人に対し「師匠」という敬称をつけて呼ぶのは、それはそれで同業界での一つの礼儀かもしれない。しかし、一般の人が視聴しているラジオやTV番組で、弟子筋でもない者が「○○師匠」と呼ぶのは、相手への媚びと自己保身的なニアンスを含んでいるようで耳障りに聞こえてしまう。『師匠』と呼ばれるに相応しい芸人に対してなら兎も角、ただ年を重ねただけの芸的には未だ熟していない芸人に対して師匠という言葉の安売りをするな!と、ついつい文句の一つも頭をかすめる。 「皆さんの前では、○○師匠と呼ばずに、○○さんと呼んでください」 と毅然と言い放つ芸人がいないものか、そのような人物の登場を心待ちにしているのだが、、、

と書いてきて、他の人はどのように感じているかなと?ネットで調べると同じような感じを持っておられる方も多いことが分かり、だろうねぇ~とほっと胸をなでおろす(^^)。

IMG_池の鯉
(某所での池の鯉)
[ 2013/01/03 14:32 ] 日常雑感 | TB(0) | CM(0)

新年あけましておめでとうございます

 新年明けましておめでとうございます。

 このBlogも早いもので4年目を迎えた。今年は巳年。十二支は、「子」(ねずみ)からスタートして「亥」(いのしし)まで12の動物の名前があてがわれているが、もともとは植物の成長過程を12段階で表したもので、巳年は、新たな生命である植物の種子ができはじめる時期とされている。

 1年12ヶ月で、各月の十二支というのがあり、それによれば十二支のスタート「子」は11月で、12月 「丑 」 1月 「寅」 2月 「卯」 3月 「辰」 4月 「巳」 5月 「午」 6月 「未」 7月 「申」 8月 「酉」 9月 「戌」  10月 「亥 」 という並びになるとのこと。 「巳」は新緑芽吹く4月で、若芽が大きく成長する時期にあたる。

 巳年生まれは蛇のように執念深いと巷間よく言われれるが、これは蛇に対して大変失礼というものだろう。人間の外見に対するものの見方の浅薄さを物語る好例の一つといえる。十二支を動物に振り当てたのはあくまで便宜上のことで、「巳」と「蛇」とは直接的には何の関係も無い。蛇が言葉を喋ることができたら口から泡をたてて大いに文句を言ったことだろう。

 さて、今年は巳年、発展の年ということで、その年に相応しくできるだけ背伸びして(?)、背筋を伸ばしながら1年を送りたいと思う。

IMG_130101元旦
[ 2013/01/01 21:27 ] 日常雑感 | TB(0) | CM(0)
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こんにちは,KENZOUです。日常の思いついたことやいろいろなことを写真と共に綴っていこうと思います。また、理系に興味のある方は「楽しい物理ノート」を公開していますので、そちらの方も覗いてみてください。

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