京都新聞の“暮らし”のコーナーに地域医療に18年間従事されているある医師のお話が載っていた。以下、その要約。
『医師免許を取得し、大病院での2年間の研修期間を経ていきなり医師一人だけの僻地診療所に赴任した。大病院では、入院というきわめて「非日常」的な環境の中、患者は健康問題が最優先される状況で医師と接する。当然医師と患者双方にとって健康問題が最も重要で、それだけを語っていても不自然さはまったくない。
しかし、診療所のような地域医療の現場では、患者は「日常」を暮らす生活者であり、外来や訪問診療を受ける短時間だけ「患者役」をやっているに過ぎない。 そこでは、大病院で普通に行っていた患者とのコミュニケーション方法が全く通じないという現実にぶつかり、出ばなをくじかれた。社会人生活たかだか3年目の若造で、生活者としては素人同然の自分が、次から次へと現れる目の前の患者が、実は海千山千の生活者であると気づいたときには愕然とした。。。
家族を含めた人間関係、仕事、経済状況、趣味、家屋状況、受診の際の交通手段、信仰する宗教、健康に対する価値観など、さまざまな要因が人の生活に影響している。そんな中で医療面や健康問題の占める割合は、医師である自分が思っているほど大きくないことに気づかされた。こんな当たり前のことが、医療者の多い「大病院村」という閉鎖社会にいたときにはわからなかったのである。。。」 小生は、この12月でいわゆる「世間」に出ていよいよ3年目を迎える。サラリーマン時代に棲んでいた組織社会(会社)と「世間」の間に横たわる大きな溝をそれなりに体験することができた。会社で自然に通用したイロイロな事が世間ではそのままでは通らない。組織社会のDriving Force(駆動力)は利益をいかに効率よく追求するかということで、その一点に全員がベクトルを合わせることが強いられるが、一方、世間は多様で多彩。
上のお話を読んで「会社」と「世間」の関係は大病院と地域医療の現場との関係にそっくりではないかと思った。
(写真:建仁寺・天井壁画:双龍図)